ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年、オーストリアのザルツブルグという都市で生まれ、今年がちょうど生誕250年に当たります。
神童時代のモーツアルト( - 17歳)
モーツアルトは5歳で作曲をはじめたと言われています。
この時代のモーツアルトはヴァイオリン奏者であった父の影響が大きく、幼少の頃から英才教育を受けることになります。
そして、父のプロデュースがなければ神童と呼ばれることもなかったかもしれません。
父レオポルトは、ウィーン(オーストリア)やドイツ、イタリアの都市をはじめ様々な所へ演奏旅行に連れて行きました。
これらの演奏旅行は神童モーツァルトの名前をヨーロッパ中に知らしめるに十分なほどの効果があり、ロンドンでは、J.S.バッハの息子ヨハン・クリスティアン・バッハと出会い大きな影響も受けました。
宮廷音楽家時代(17歳 - 24歳)
ザルツブルグの宮廷音楽家として平穏な日々を送っていたモーツアルトですが、宮廷音楽家にはあまり向いていなかったようです。
宮廷音楽家の職を辞して母と就職活動の旅にでることになります。
しかし、行く先々での青年になったモーツアルトへの関心は薄く、良い評価を得ることがなかなかできません。
1777年、モーツァルトはパリへ向かいますが、ここでも成功を収められませんでした。
この時、母アンナ・マリアを病気で亡くしています。
結局ザルツブルグに戻って宮廷音楽家に復職するのですが、これも上手くいかず辞めてしまいました。
宮廷音楽家時代は、モーツァルトにとって辛いものであったかもしれません。
モーツァルトは、ウィーン滞在を決意します。
ウィーン時代(25歳 - 35歳)
この時代音楽家が身を立てるのは容易なことではありませんでした。
貴族に仕え、宮廷音楽家になるための就職活動を行うのが普通でした。
しかし、モーツァルトは宮廷音楽家ではなく、演奏や作曲などで生計を立てるフリーの音楽家を選びました。
1782年コンスタンツェと結婚し、音楽的にも充実しており、数々の名曲を作り上げたのもこの時期」になります。
借金を繰り返すなど貧しい生活を強いられましたが、モーツァルトにとって最も充実した時代であったに違いありません。
1791年、モーツァルトは35年という短い生涯を閉じましたが、その35年の間に残した数多くの作品は、今でもたくさんの人々に親しまれ続けています。
クラシック音楽の作曲家は、コーヒーを好む人が多いのですが、モーツァルトもかなり愛飲していたようです。
そのせいか、モーツァルトの曲調は心地よく、コーヒーによく合うように思います。
モーツァルトを聴きながらワインを飲むというワイン愛好家も多いですが、センスの良い喫茶店などでモーツァルトを聴きながらコーヒーを飲むというのもなかなか良いものです。
モーツァルトの曲には気持ちをリラックスさせてくれるような効果があり、次のようなことが主な理由ではないかと私は考えています。
- モーツァルトの曲のほとんどが長調で明るい曲が多い。
- ロココ様式という、不協和音が少なく調和した音楽である。
- 高音で軽快なメロディーが多い。
モーツァルトの音楽が、心地よく感じるのは明るく軽快なものが多いからでしょうか。
ただ、数少ない短調の中に名曲が多いというのもモーツァルトの音楽の特徴です。
41曲の交響曲の中で、25番と40番だけが短調になるのですが、いずれも名曲として知られています。
今年は、モーツァルト生誕250年ということもあっていろいろなところでモーツァルトの音楽が流れています。
モーツァルトを聞きながらコーヒーを楽しむのも良いものです。